最後のメリークリスマス

 とさり、とさり。
 真っ白な一面の雪に赤い、赤い血が落ちる。
「本当に死んでもいいのね?」
 口を赤い体液で汚した少女が問う。
「気持ちは変わらないよ、リヴ。僕の天使」
 少女に抱きかかえられたやせ細った少年は腕を彼女の首に回す。それは食いちぎられた首筋から肩を伝い彼女の白いワンピースを赤く染める。ぼたりと落ちた雫が白い雪を淡く溶かした。
「ねぇリヴ、僕の命は美味しいだろうか」
 少年は尋ねた。
 雪を解かす血だまりの真ん中で、少女と少年は抱き合った。

 最後のメリークリスマス。

 雪が降り始めた。この光景を病室の窓からあと何年眺められるだろう。
 雪深い山中にあるホスピス。マザーテレサが言うには死を待つ人の家。僕らに残された時間は他人と比べたらとても短い。昨日は隣の部屋のおばさんが、今朝は同室のおじいさんが亡くなった。
 他の患者に比べたら僕はずっと若い。まだ十代の半ば。「まだ若いのにお気の毒に」と言われることには慣れてしまった。僕を蝕む病魔は誰が決めたのか、僕のもとへやってきた。長い治療の末、もう助からないだろうとこの施設へやってきたのは二年前のことだった。
 折角雪が降ったのだから外に出てみよう。僕は綿のパジャマの上から重たいモッズコートを被って病室を抜け出した。
 ホスピスの裏山の広場を目指す。しばらく歩いたものだから心臓が急いて胃の中がひっくりかえりそうだ。冷たい六花の妖精たちがひらひらと、真っ白な空からダンスをしながら降りてくる。くるくると舞い降りて、まだ冷え切っていない草木に触れて、やがて妖精たちの命は潰えた。
 僕は広場の前で立ちつくした。見慣れない白い髪の少女が広場のベンチに腰掛けていたのだ。膝の出る半ズボンに白いセーター。足元は裸足だった。
「ねぇ、君、寒くないの?」
 僕が話しかけると少女はハッと顔を上げた。グレーの光彩の瞳がキッと僕を睨み付ける。血管まではっきり見えるような色素の薄い肌に白いウエーブのかかった髪。しっかりと通った鼻筋。欧米系の顔立ちに僕は戸惑う。
「日本語、分からなかった?」
「分かる」
 少女はそれだけ答えた。
「よかった。君も施設の子?」
「ううん。違う」
「何故ここに居るの?」
「人が死ぬのを待っているの」
「そっか。ここじゃ毎日誰かが死ぬ。待ってどうするの?」
「食べるの」
 少女の言葉に僕は戸惑う。カニバリズムというやつだろうか。
 丁度、少女のお腹がくうぅと鳴る。空腹なのは本当らしい。
「お腹空いているなら、みかんならあるけど食べる?」
 少女の隣に腰掛けて、ポケットの中のみかんを差し出す。
「要らない。食べられないから」
「そっか、みかんは嫌い?」
「ううん、人間しか食べられないの」
「君、変わっているね」
「吸血鬼なのよ」
「へー、そうなんだ」
「驚かないのね」
「もう僕は何があっても驚かないよ。僕ももうすぐ死ぬから。死神が見えたって可笑しくない。早く死にたいよ」
 少女が目を見開く。
「ダメ。そんなに簡単に死にたいだなんて言ったら」
 グレーの瞳が僕の顔を覗き込む。初対面にも関わらず説教だなんて図々しい人だ。
「もう何年も余命宣告をされてきたんだ。あと半年。それを過ぎればあとまた三ヶ月。今は年を越せるか分からないと言われている。ずっと僕の『死』は先延ばしになる。早くほしいんだ。心休まる『死』の果実が。一度しか味わえない至福の時が」
 少女は黙って僕の手を握った。少女の手は驚くほどに冷たかった。
「そうだ、君、吸血鬼なんだよね。僕の血を飲んでよ。そしたら君はお腹いっぱいになるし、僕は安らかに死ねる」
 僕の提案に少女は顔を歪ませた。
「私は人を殺さない。そう誓ったの」
「吸血鬼なのに? 変わっているね」
「吸血鬼の存在を信じるあなたの方が変わっているわ」
「嘘だとしても、僕は君のことを信じるよ」
「変わった人ね」
 僕と彼女は顔を見合わせて笑った。
「僕はユタカ。君は?」
「私はリヴ」
 この出会いは僕の人生の中でもっとも尊いものだった。

 それから僕たちはホスピス裏の広場で会うようになった。雪がうっすら積もるようになってもリヴは薄着の裸足で、それでも寒くないという。リヴはノルウェーの出身で百年ほど前に日本へ来たそうだ。
「リヴって何歳なの?」
「四百歳くらいよ。まだ吸血鬼にしては若い方なの」
「すごいなぁ。僕は十六歳。リヴが十六歳の時は何をしていたの?」
 リヴはブロンドの髪をくるくる指に巻き付けながら、覚えていないわ、と答えた。
「よく覚えているのは、太平洋戦争のときの日本ね。焼けた人間はあまり美味しくないわ」
「お刺身の方が好き?」
 お魚じゃないのだから、とリヴは笑い、続けた。
「なるべく新鮮な方が美味しいわね。痩せこけた老人も、脂まみれの中年もイマイチ。筋肉質な若い人がやっぱり美味しいわ」
「じゃあ僕はきっと美味しいよ。まだこんなに若いんだもん。でも、薬の味で不味いかな」
「ここで死ぬ人はみんな薬の味がするけれど、大きな病院みたいなところの遺体はモルヒネの味がして最悪よ。自殺者も多くは向精神薬の味がするわ」
 そっかー、と僕は笑った。
「でも食べる側は我儘言ってはいけないの。命をいただいているのだから」
「リヴは人格者だね」
 僕が言うとリヴは顔を赤くして背けた。
「ねぇリヴ、やっぱりお願いを聞いて。僕を食べてほしい」
「いやよ、ユタカ。私は人を殺さない」
「僕はもうすぐ死ぬ。それがほんの少し早くなるだけ。新鮮なお刺身が食べられるよ?」
「茶化してもダメよ。私は友達を食べたくない」
「僕たちって友達だったんだ。じゃあ、友達をやめよう」
 リヴの瞳が悲しみに揺らいだ。
「リヴ、僕の恋人になって。そして僕の願いを叶えてよ」
 僕はリヴの柔らかくて冷たい身体を抱きしめる。
「分かったわ。クリスマスがくるまで恋人でいましょう。そしてクリスマスまでにユタカの気持ちが変わらなければユタカのことを食べるわ」
 僕の初めてのキスはほんの少し鉄と生臭い味がした。

 葉を落として寂しかった山並みが、白粉を被りいじらしく光り輝いている。
 僕はあれから自力で立って歩くことができなくなっていた。
 消えることのない吐き気に何度も嘔吐し、リヴが食べられないと言ったみかんの香りで胸のむかつきを逃すので精いっぱいだった。いよいよ本当に死ぬのだと思うと不思議と頬が緩む。「約束された死」それが僕にとっての心の安寧だった。
 窓から白く輝く山並みを眺める。リヴの肌も髪も雪のように白かった。会いたい。リヴに会いたい。病気で死ぬのが先か、リヴに食べられるのが先か。できるのならば僕はリヴに食べられたかった。死を望むがゆえに、皮肉にも僕は生きることを望んでいた。

 夜更け、遠くのリヴの声で目が覚めた。夢か幻聴かは分からないけれど、リヴの声がした。
「リヴなの?」
「ユタカ、目を閉じて」
「なんで?」
「いいから、目を閉じて」
 僕は目を閉じて、閉じたよ、と伝える。
「入っていいって言って」
「なんで?」
「いいから、入っていいって言って」
「入っていいよ」
「ユタカ、会いに来たよ」
 その声は耳元でした。目を開けると、そこには薄いシャツ一枚のリヴの姿があった。
「リヴ、ここ三階だよ。すごいね」
「吸血鬼だからね」
 リヴは冷えて赤くなった鼻の頭を掻いた。
「リヴ、殺しに来てくれたの?」
 リヴは黙って僕のベッドにのぼる。鼻と鼻が触れ合う距離でリヴの吐息を感じた。
「ユタカ、死ぬよりもっと気持ちいいことしよう」
 はらり、とリヴの肩からシャツが流れ落ちる。月明かりに照らされた白磁の肌に僕は息をのんだ。ゆるやかな胸部の膨らみに、細い腰。月の天使のような彼女を僕は抱き寄せた。
「リヴって冷たいね。氷の女王みたい」
「じゃあユタカの熱を頂戴」
 リヴは僕の唇を啄む。優しく、優しく柔らかな唇を堪能する。僕が我慢できなくて舌を伸ばすとリヴはそれを受け入れ、軽く吸い上げた。舌の付け根を舌先で舐られるとだらしない声が漏れて、リヴはにやりと僕の目を見て雌豹のように笑った。色素の薄い光彩が月明かりに照らされて、僕は天使とセックスをしている気分になった。
「ユタカ、もうすぐ死ぬっていう割に元気ね」
 ズボンを押し上げて主張する陰部をイヴは撫でる。
「ユタカは動かなくていいよ。身体に障るから」
 リヴは僕のズボンを脱がせると僕のモノを肉壁で包み込む。あったかくて、濡れていて、この世の幸せを全てかき集めたような感覚に陥る。
 リヴは眉間に皺を寄せて内腔を押し広げられる苦しさを、息を短く吐いて逃していた。なんて愛しいのだろう。繋がった今、僕らは何故か涙を流していた。
 そしてセックスの最中にリヴは言った。
「人はエクスタシーを感じる度に一度死ぬ」のだと。

「リヴってサキュバスなの?」
「ううん、ただのバンパイア、吸血鬼よ」
 狭い病院のベッドの中で抱き合って語り合う。真冬の汗はすぐ僕らを現実へと誘う。
「こんなことした後にいうのもなんだけどさ、子供できちゃったりしないの?」
「しないよ。吸血鬼とは吸血鬼との間でしか子供ができないの」
「それはよかった。リヴ一人じゃあ育てるのは大変だ」
「悲しいこというのね。私はユタカとの子が欲しかった」
 リヴの大粒の涙が僕の胸に落ちる。リヴの涙は彼女の身体のどこよりも熱かった。

 約束の日。よく晴れた白銀の夜。広場のガス灯が真っ白な世界を静かに輝かせる。
 リヴに抱きかかえられた僕は広場の真ん中にたどり着く。
「ユタカ、ユタカの気持ちは変わらない?」
「変わらないよ、リヴ。君のことを愛していたよ」
 僕は乾いた唇をリヴに寄せた。リヴの虹のようなグレーの光彩が揺らぐ。
「これからは? これからも私のこと愛してくれるよね?」
「リヴ……僕にこれからはないんだ。僕の命はもうすぐ終わる。そして選べるのならば、僕はリヴに食べられたい」
「いやよ、こんなにやせ細って」
 喉の奥が熱くなった声でリヴが言う。
「ふふ、ごめんね、美味しくなくなっちゃったかな?」
「そんな冗談言わないでよ」
「リヴには笑っていて欲しかったな」
 僕はもう一度だけ唇を重ねた。
「本当に、いいのね?」
「うん。僕を食べて、リヴ」
 リヴの冷たい舌が僕の首をなぞる。彼女の尖った歯がおそるおそる肌に触れる。もう終わるのだと思うと嬉しくてたまらないはずだった。でもやっぱり寂しくなるのだと、このとき僕は初めて知った。
 とさり。
 食いちぎられた皮膚から赤い飛沫があがる。心臓が波打つたびに血がどくりどくりと漏れる。リヴは口を真っ赤に汚してそれを飲んだ。
「ねぇリヴ、僕の命は美味しいだろうか」
「ユタカ、美味しいよ。美味しいよ」
 命の熱を持った血液が辺りの雪を解かす。白銀の世界に赤い花畑ができたように赤い雪が花開く。
「リヴ、ありがとう。君の一部になってこれからも君といるよ。僕の天使よ」
 これが僕の、最後の物語。



お読み頂きありがとうございます。
クリスマスの短編を書こうとして、どうしてこうなったという内容になりました。雪の降る夜の静かなホラーがマイブームです。
誰も幸せにならないお話でしたが、そんなクリスマスもアリですか?
よいクリスマスをお過ごしください。

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