vanilla 14
確かこの辺りは劇場のあったあたりだろう。行く当てのない愛実は自然とこの場所にやってきてしまった。生ごみが水たまりで腐る異臭も、酔っぱらいが残した吐瀉物も、何もかも愛実にはおあつらえむきだと思えた。
サンダルの先を見つめて歩いていると、男の集団にぶつかってしまった。
「ってえなあ! どこ見て歩いてんだ」
小さな声ですみませんとだけ呟くとその場から立ち去ろうとする。
「おい、聞こえねぇんだけど? あぁ?」
集団のうちの小太りな輩に腕を掴まれる。離してともがいても、愛実の細い腕では敵わない。
リーダー格と思われる首にタトゥーの入った男に顎を掴まれる。睨み返すと、なんだその目は、と愛実はゴミ箱に投げ飛ばされた。
「っあ……」
起き上がろうとすると、腹に数回、蹴りを入れられた。何も食べていない愛実の口からは酸の強い胃液が吐き出される。痛みがこんなに苦しいなんて知らなかった。
「おい、これ見てみろよ」
集団の中の一人が、愛実の露になった背中を指さす。
「こいつ『夜蝶のシャル』だぞ」
「おお? あの有名なシャルちゃんじゃないか。こりゃあ、とっ捕まえて売り払ったら大金になるぞ」
男たちの下種な笑いに愛実は嗤っていた。そうだ、僕は所詮売り買いされる商品だ。僕の人生なんてそんなものだ。でも、真琴は僕に価値をくれた。真琴、助けて、まこ――
「つぐみ!」
知っている声が聞こえる。ああ、お迎えでもきたのかな。
愛実はそこで意識を手放した。
「愛実、目、覚ましたか?」
目を開けると見知った天井だった。見渡すと片付いていないアパートの一室。
「北原さん?」
狭いパイプベッドの脇に、髪の長い無精ひげを生やした男が腰掛けていた。
「愛実、なんであんなところに居たんだ。帰ってくるなと言っただろ」
キツイ言葉に反して、北原は愛実を強く抱きしめていた。懐かしい匂いに涙が止まらない。怖かった、怖かったと愛実は泣く。しかし、胸に鋭い痛みが走る。北原は「あばらをやったか」と抱きしめる手を緩めた。骨が折れた痛みは、別に気持ちよくなんてなかった。
「北原さん、僕、好きな人ができたよ」
ベッドに寝転んで、北原の手を握る。
「そうか、真琴に惚れたか」
親しげな物言いに愛実は首をかしげた。
「お前を引き取った引田真琴は、俺の高校のダチだ。話せば長くなるが、聞くか?」
愛実は目の端から零れ落ちた涙をスウェットの袖で拭うと、うん、とだけ答えた。
「まずお前に言わなきゃいけないことがある。愛実、お前の父親は俺だ」
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シャル(愛実)に酷いことをするのがクセになっている作者です。
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