青嵐吹くときに君は微笑む 02

「行ってきまーす」
 モッズコートにぐるぐるのマフラーの重装備で家を出る。あいにく手袋は持っていない。プレゼントしてくれる人もいないのだと自嘲的に笑ってみたが、重い気持ちは変わらなかった。

 妹の滴に言われたこと。

 その一、必ずコンサートに入ること。ダフ屋に売ったり譲ったりしてはいけない。
 その二、グッズを買ってくること。リストは手渡された。代金も預かった。
 その三、コンサートの詳細を帰ってきたら事細かに話すこと。特にリーダーが誰とイチャイチャしていたか。
 その四、チケットは二枚あるので友達を誘って必ず席を埋めること。空席を作るのは失礼千万。

 色々つっこみたいこともあるのだが(特にイチャイチャってなんだ)、問題はその四だ。俺には悲しいことにアイドルのコンサートに付き合ってくれる友達はいない。人間関係に興味がないというか、他者への感情が希薄な俺には、クラスでだべる友達はいても、わざわざ名古屋に出てまで遊んでくれる友達はこれといっていない。
 ちなみに、滴と一緒に入る予定だった友達もインフルエンザだそうだ。この冬は大流行だな。
「お兄ちゃん、チケットでナンパしないでよ?」
「うっさい、しないよ、そんなの」
 とは言ったものの、ナンパするしか席は埋められなさそうだ。
「はーっ」
 声が出るほどの大きなため息は、白い霧となって乾いた空に流れていった。

 電車を乗り継いで一時間。ナゴヤドーム前矢田駅は未だかつて見たことが無いほどの人の波ができていた。身体がぶつからないように一定の速さで流されていく。
 辺りには女性ばかりだ。制服姿の女子高生や、すごく派手な衣装を着た女性。年齢層は小学生から俺の祖母くらいの人まで。流石、国民的アイドルだ。地味な恰好でも何かしらの「色」が目立つ。そして目につくのは同じ鞄を持っている人が多い。滴が言っていたコンサートグッズというものだろう。
 野球選手のパネルが飾られた長い廊下は人の熱がこもって息苦しかった。女性のコツコツとした固いヒールの音が煩くて、でも彼女たちの浮かれた空気が嫌いじゃなかった。
 ドームまで続くデッキまでの高い吹き抜けを見上げると、人工的な緑が師走の風に揺れて寒さを思い出した。エスカレーターには既に長い列ができているので俺は諦めてらせん状の階段に足を向ける。
 一段一段、不規則な幅のタイルを上る。光の指す方へ、俺は少し、記憶の海のさざなみを聞いた気がする。光の中で笑う先輩。
 トン、と肩に誰かの肩がぶつかる。バランスを崩した相手は声にならない悲鳴をあげて落ちかける。咄嗟に手を伸ばして掴む。柔らかなニットの手袋の感触がした。
「すみません、ありがとうございます」
 なんとか引き上げた腕は、あの酒本渚先輩だった。
「酒本先輩?」
「えっと……どちら様ですか?」

 そりゃベンチ温め係の俺のことなんか覚えていませんよねそもそも一年なんてベンチ入りどころか応援席でしたよ練習だってグラウンドを走り続けただけで先輩との接点なんて全然なくてせめてともの気持ちであいさつはしたけれどへたれな俺にそれ以上の会話能力はありませんよええコミュ障の俺なんかゴミクズのクズですよ空気ですよ存在がないですよ期待なんかした俺が間違いでしたよばったり会ったなんて運命と思っちゃうじゃないですかていうかなんでここに酒本先輩がいるの買い物に来たら巻き込まれたとかそういうやつですよね帰ろとしてましたもんねここでコンサートに誘ったところで来るわけないですよね来たら奇跡ですよね男が男のアイドルにキャーキャーなんていいませんよねでも酒本先輩めっちゃいい匂いするし近くで見ると顔小さいし目が大きいし整ってるしでもそういえばいつから酒本先輩はいないんだっけ試合の前にはもういなかった気がしなくもないんだけどなんでだろうでもわざわざ聞くのも申し訳ないし図々しくないか俺はでも俺は酒本先輩のこと

「あの……相原、くん?」
 酒本先輩の声で我に返った俺は何度か頬をつねった。夢じゃない。まずそこからだ。
 状況を確認すると、とりあえず場所を移動して、デッキと隣接するショッピングモールの間のスペースで話している。自己紹介をしたら一応思いだしてはくれたらしい。屋外なので風は避けられるが冷たい空気が火照る俺の身体を正気に戻していく。
「お久しぶりです、酒本先輩。その、先輩は買い物か何かですか?」
「う、うん、ちょっとね」
 先輩は困ったように歯を見せた。しかし何故だろう。あのときの「酒本渚」と全然違う。
「こんな人混みじゃ大変ですよねー。今日コンサートらしくて」
「うん、知ってる。知ってるよ。なんで来ちゃったんだろう」
 彼は小さなその身体を抱きしめた。寒さじゃない震えを閉じ込めるために。
 先輩は、泣いている。
 俺は直感的に思った。雫のない涙だ。
「酒本先輩。よかったら、一緒にコンサートに行きませんか?」
 一人にしちゃいけない。そんな目を先輩はしていた。



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