音楽の神様

「お姉ちゃんはさ、なんでまだ吹奏楽やっているの?」
 その日はやけに月が大きく、夜空の守り神のような夜だった。
 必要最低限のもの以外段ボール箱につめて、殺風景になった妹の部屋にはもうカーテンすらない。月明かりが私たち姉妹をぼんやりと照らしていた。
「なんで、ってそりゃ、好きだからだよ」
「高校ではやれなかったくせに?」
「やれなかったから、だよ」
 私は明日旅立つ妹の肩を抱いた。
 私は小学校から吹奏楽の道に入った。物心つく頃からピアノ教室に通っていた私にはそれは至極当然のことで、何かを始めるのに理由なんてなかったとさえ思う。二つ下の妹も私にくっついて吹奏楽部――尤も小学校では木管楽器のいない金管バンド部だったが――に入部した。パートは私がホルンで、妹はユーフォニアム。二人で吹いている時間は少なかったけれど、楽しいひとときだったと今でも私は思う。
 中学三年生のとき、私は市内の合同バンドでパートトップを任せられた。トップ奏者というのはそれだけ花形で、名誉あるものだった。市内で一番なのが私。その誇りを持って私は演奏した。聴いてくれる人を楽しませるために。
 すると、市外の吹奏楽全国強豪校から私はスカウトされた。大きな舞台で演奏できることを夢見て私は推薦でその高校を受けた。
 でも、私は入部一か月で吹奏楽部をやめた。
「お姉ちゃん、私はレズですって言えばよかったのに」
 口をとがらせて妹は言うけれど、私にそんな勇気はなかった。
 私は高校に入ってから、男の子たちと一緒にいることが多かった。レズビアンであるためか、私の性格故か、女の子と一緒にいると緊張して喋ることができなくなる。だから高校では思いっきり自由になるために男の子たちと楽しい高校生活を送りたかった。私が女とかレズビアンとかそういうことは忘れて。
「言えないよ。言ったらもっとこじれていたかもしれないじゃない」
 男の子とばかりいた私は、部内で「ビッチ」「男たらし」「尻軽」と散々な言われようだった。部員は男女交際禁止という部則があったが、男の子たちと恋愛するつもりがなかった私にははた迷惑な規則でしかなかった。最後には顧問から母に「あなたの娘さんはふしだらです」なんて電話がかかってくるくらいだった。
 先輩には「もうすこし男子と距離を置きなさい」と忠告されたけれど、私の居場所はすでに男の子たちの中で、そこから離れたらどこに行けばいいのか分からなかった。
「それでいたたまれなくなって退部と」
「いたたまれないとか、そんな程度じゃないよ。音楽が、怖くなったから」
 強豪校は今までの「みんなで素敵な音楽を作り上げる」なんて生ぬるいものじゃなかった。全員がライバルで、誰かを蹴落とすための道具。悪口も、視線も、嫌がらせも、全部、自分が舞台に立つため。
 でも、本当にそれでいいの?
 ある日、私は部室でうずくまって動けなくなった。

 息ができない。
 吸えない。
 吐けない。
 吹けない。

 震えて音が出なくなった。

「それじゃあなんで、今やってるの? 高校であんなだったのに」
 妹は私と同じ高校で、全国大会に出場し金賞を受賞した。
 妹はあの環境でも屈しない強さを持っていた。私にはないものを。
「あんなだから、だよ。お姉ちゃんさ、知ってしまったんだ。吹奏楽の楽しさを」
 月夜を眺めながら、私は反芻する。
「小学校での演奏、覚えている? 学芸会のとき、たくさんのお客さんが私たちの演奏に拍手をくれた。それが嬉しくてたまらなかった」
「私だってそりゃ拍手もらえたら嬉しいよ」
「それだけじゃないんだ。私はまだ満足するほど音楽をやっていない。悔しかった。技術を磨くのは全て聞いてくれる人を喜ばせるためのものであって、競うためのものじゃないって私は信じていたから。私はきっと覚悟がぬるかったんだよ」
 そんな私の妹は、もう吹奏楽はいい。と県外の看護の専門学校に進学する。
「こっち帰ってきたら演奏会来てね。絶対素敵な演奏をするから」
「うん」
 月の中で二人、姉妹最後の夜を過ごす。
 音楽の神様が私を自由にしてくれるのはいつだろう。



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短編を書くのは久しぶりで、どうやって書くんだっけなんて悪戦苦闘しました。
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