青嵐吹くときに君は微笑む 08

「滴ちゃん、いいもの見せてあげるからこっちおいで」
 先輩お手製のマドレーヌをこたつで食べ終わるころには、コンサートDVDも終わっていた。わーとかキャーとか叫んでいたドルオタ二人が十周年の感動的なコメントに泣いていたが、みんなこんな感じなのだろうか。情緒豊かすぎだろこの人たち。
 先輩は宝箱のようにリビングのこたつ横の引き戸を開ける。
「これって」
「うん、僕の秘密基地」
 滴は感極まってその部屋に吸い込まれる。
 文字にならない声を上げて滴は飛び跳ねていた。
 何事かと立ち上がろうとしたが、こたつでのぼせたのか一瞬の眩暈に襲われる。しかしなんとか立ち上がって先輩の秘密基地に足を踏み入れた。
 壁中に彼らのポスター、彼らの顔写真の団扇、アクリルの戸棚には歴代のペンライトにグッズ。本棚にはパンフレットにファンクラブ会報のバックナンバー、そして大量のアルバム。
「すっげえ」
 先輩の「好き」が詰まった部屋に俺は圧倒された。細かく見ていくとポスターごとにやはり年齢の違いが表れていて、彼らも人間なのだということを思い知らされる。
 しかし気になってしまうのはこのグッズ、総額いくらかけているのだろう。訊いたら負けだ。
「これ、まだデビュー前の写真なんだよ」
 先輩が一つアルバムを開いて見せると、そこには若いというより幼い彼らの写真が整頓されて並んでいた。
「す、すごい……リーダーかわいい……」
 言葉を無くす滴の横に俺もしゃがむ。幼い顔立ちに細い身体つき。少年だった彼らは国民的大スターにまで昇りつめた。この写真が撮られたとき、一体誰がそんなことを思っただろうか。
「あっちの棚には歴代のペンライトがあるんだよ」
 そう言われて立ち上がった瞬間、俺の視界が渦を巻いて、ストン、と落ちた。

「んん……」
 目を覚ますと、シトラスと太陽の香りがするベッドの中に居た。頭の中で誰かが鐘を叩いているような痛みとベッドに沈み込む身体の重さに驚く。
 見渡すとシンプルに片付けられた寝室だった。クローゼットと机とベッド。カーテンの色はくすんだネイビー。もう日が傾き始めていて薄暗い。
 壁にクリーニング済のビニールのかけられたスーツがかけられている。サイズがどう見ても酒本先輩のものじゃない。それと、机の上にはくたびれた紙煙草と使い捨てライターがあった。ここは、どこだ?
「零くん起きたかな?」
 酒本先輩は水のペットボトルと体温計を持っていた。
「先輩、俺」
「零くん、酷い熱で倒れたんだよ。多分だけど、滴ちゃんからインフルエンザ貰っちゃったんじゃないかな? ごめんね、僕のベッドに寝かせちゃって」
 はい、お水飲んで、とペットボトルを渡される。飲みながら体温を測ると三十八度六分だった。これはインフルの可能性がある。
「今タクシー呼んでるから、今日はゆっくり家で休んでね。明日病院行っておいで」
 ありがとうございます。と答えて、ぼんやりした頭で問う。
「先輩って煙草吸うんですか?」
「吸わないよ。あそこにあるのは、元カレの」
「そうでしたか」
 これ以上の言葉は見つからなかった。先輩に刺さった棘を抜くのは誰だろう。

「お兄ちゃん! もう、ベッドまで運ぶの大変だったんだからね! 調子悪いなら言ってよ」
「ごめんごめん、自分でも気づかなくて」
 タクシーの窓から見送る先輩に手を振って、帰路に着く。
「ねえ、お兄ちゃん」
 滴は前を向いたまま、言う。
「私、酒本先輩のことが好き」
「アイドル好きだから?」
「違う。酒本先輩、私に触れられてとても怯えていた。誰に対してかは分からないけれど、私にじゃない誰かに『ごめんなさい』を唱え続けていた。だから、私、この人を守りたい」
「そっか」
 熱で回らない頭で妹の告白を聞く。その意味が分かるのは、もう少し先のこと。



お読み頂きありがとうございます。
秘密基地、僕も欲しい。
拍手をぽちっとしてくださると作者が喜びます。

ランキング参加中です
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へにほんブログ村 小説ブログ 恋愛小説(純愛)へ



←前のページ 目次 次のページ→