青嵐吹くときに君は微笑む 10

 昼間、母お手製のコロッケ乗せオムライスを食べていると、スマートフォンが震えた。
 母からの行儀の悪いとの小言を受け流して画面を開くと滴からオムライスを食べている酒本先輩の写真が送られてきた。
「いいでしょー」
 今日の酒本先輩は前髪を上げてポンパドールにしていた。スプーンいっぱいのとろけるオムライスを頬張りながらカメラを上目遣いで見る先輩は、それはもう最高に可愛らしかった。
「ざんねんでしたー」
 俺も対抗してコロッケ乗せオムライスの画像を送る。卵はお店のようにふわとろではないけれど、こちらにはお惣菜界の重鎮、お肉屋さんのコロッケ様がいるのだ。
 数分後、滴からスタンプが届く。
 今度はチェーンソーで首がはねられるスタンプだった。これまた物騒な。

 それから俺は何をするでもなくこたつでうたた寝をしていた。こたつは魔物だ。直立二足歩行という脳と文明の発達に必要な技能を獲得したというのに、こたつに入れば四足歩行にあっけなく退化する。ツイッターで新作の映画をチェックしたり、スポーツニュースを見ていたりするとそれだけで一日が終わる。まさしく人をダメにする魔物である。
 夢と現の狭間で、心地よい暖かさに身をゆだねる。滴はちゃんと先輩とデートできているのだろうか。この先告白して、付き合って、キスをして。そんな関係になるのだろうか。
――――どうしてそれがどうしようもなく嫌なんだろう。
 刹那、握っていたスマートフォンが震える。画面を開くと、滴からだった。
「お兄ちゃんどうしよう」
「先輩が私を突き飛ばして」
「トイレに入ったきり出てこない」
「私どうしたら」
「何かしちゃったのかな」
 絵文字も何もない、緊迫感のある連投。ただ事じゃないことくらい俺にだって分かる。
「今どこにいる?」
「栄のパルコ」
 距離的に今すぐ迎えに行ける距離ではない。片道一時間はかかる。考えろ、考えるんだ。
「じゃあ近くの男性従業員に事情を話して様子を見てもらっておいで」
「滴はきっと悪くないから。落ち着いて」
 滴から了解のスタンプが届く。非常事態を嘲笑うようなポップなイラストに既読を付けると、俺は酒本先輩に電話をかけた。
 出ない。焦るな。俺がかけてどうこうできることじゃないというのは分かっている。でも。
「――――零くん?」
 酒本先輩の声は涙で枯れていた。
「酒本先輩大丈夫ですか? その、滴からLINEもらって」
「そうだ、滴ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい、僕」
 直後に嘔吐く嫌な声と、想像したくないものが水面に跳ねる音がした。
「滴には男性従業員を呼ぶように伝えました。何かあったのですか?」
「僕、やっぱり、怖くて。でも、滴ちゃんとは仲良くなりたくて。でも、女の人だと思うと足がすくんで。嫌いじゃないの。嫌いになりたくないの。でも、怖い」
 震えた声に嗚咽が混ざって、この人の弱いところからぼろぼろと崩れていくのを電子音から感じた。
「僕ね、昔は女の子と話せたんだよ? 友達もいた。でも、お母さんにゲイだって知られてから変わった。お母さんは僕に『こんな子に育てたつもりはない』『母さんを悲しませないで』って毎晩ヒステリックに罵って、殴りつけた。お父さんは僕がゲイでもいいって言ってくれた。でもそのせいでお母さんに『私から旦那を取るつもり?』って余計酷いことをするようになって……レイプ、されたんだ。熱くて、柔らかくて、熟れた果実の臭いがする女の人に一切関わることが怖くなった。それを知ったお父さんはお母さんと離婚した。僕が壊しちゃったんだ、僕の家族を。ごめんなさい。こんな僕でごめんなさい」
 酒本先輩の姿は今見えない。遠く離れた地で泣いている。小さな、小さな先輩は泣いている。どうしたら俺は先輩の笑顔が見られる?
「そうだ、滴ちゃん。滴ちゃんに謝らなきゃ。ぶつかったときに驚いて突き飛ばしちゃって、怪我してないかな。ごめんなさい。でも、脚が震えて立てなくて」
「大丈夫ですよ。滴だって先輩のこと心配していました。そのうち男性の従業員が来ます。帰り、駅まで迎えにいきますよ」
「うん、零くんありがとう。変な話、しちゃってごめんね」
「いいえ、話してくださってありがとうございました」
 これ以上、先輩にかける言葉が見つからなかった。重たくてどろどろしていて黒いものがお腹の真ん中でぐるぐると回って、こたつの中で掻いた汗が冷えてたまらなかった。



お読み頂きありがとうございます。
ゲイだからってみんな女性恐怖症というわけではないのですよ。
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