夏の覚悟

 夏が終わった。
 構えていたホルンを膝に下ろし、息を吸った。まだ胸が熱い。顧問が指揮台の上から私たちをすくい上げる合図をして私たちは立ち上がる。スポットライトの奥、薄闇の中からライバルたちと審査員の棘の混ざった拍手が浴びせられる。どちらが美味しい瓜なのか私たちを品定めする。そう、ここは私たちの戦場なのだ。
 吹奏楽部地区予選中学生の部A編成。十三分間の間に中学生は課題曲四曲の中から一曲と自由曲一曲を演奏する。その十三分のために私たちはひと夏、何百時間もの時間を練習に費やす。楽譜は書き込みで真っ黒になり、楽譜無しでも演奏できるほどに頭と体に刷り込まれる。たった十三分。それが私たちに与えられた勝負の時間である。
 今回の演奏も悪くはなかった。でも、こんなにあっけなく終わる虚しさに私は何かが抜け落ちたように茫然としていた。
「後藤先輩、私トリオの出だし音外しました。申し訳ありません」
 ホルンパートの後輩、美穂ちゃんが涙目になって私に頭を下げる。その個所は私も気づいていた。和音となって聞こえるはずの裏打ちが崩れていたのだ。フレンチホルンという楽器は倍音が多いため音を外しやすい。緻密なリップコントロールが要求される楽器だ。
「大丈夫よ、審査員なんて最初の三分くらいしか聞いていないから」
 美穂ちゃんの短い髪を私はくしゃりと撫でた。大丈夫、大丈夫と言い聞かせて。
――――大丈夫、県大会に進めるなんて誰も思ってやしないから。
 私たちの中学校の吹奏楽部はよく言えば和気あいあい、悪く言えば気の抜けた部活だった。毎年「今年こそ県大会へ」と言っているが、県大会へ進むのは隣の市の中学ばかりで、実現したことなどない。楽しく演奏できたらいい。でもできたら県大会に進みたい。それくらい「ふわっと」した部活動だった。
 楽器を片付け、ホールで他の中学の演奏を聴く。やはり隣の市の中学の方がずっと上手い。どこからこの差はやってくるのだろうか。同じ夏、同じ時間の中で何を得てここまでの演奏を作り上げているのだろう。他の部員からも「やっぱ、うめえな」と声があがる。何が、何が違うのだろう。
 結果発表は審査員長の口頭で行われる。
「先輩、怖いです」
 美穂ちゃんの手を私は握った。彼女の手は小さく震えていた。私は一年からコンクールに出ているためもう三度目。慣れきっている。「あなたたちの演奏はよくなかった」と言われることにも。
 演奏順に次々と発表されていく。「きん」と「ぎん」は聞き取りづらいため金賞のみ「ゴールド、金賞」と発表される。ゴールドと審査員が言う度に会場から大きなどよめきと悲鳴が上がる。常連校であってもそれは変わらない。逆に銀賞、銅賞でもなにかしらの声は上がる。落胆なのか安堵なのか私には分からない。
 十六番目、私たちの中学が発表される。
「エントリーナンバー十六、銀賞」
 知ってた。
 演奏を終えた瞬間から私は「金賞はない」と思っていた。こういうものは演奏者が一番よく分かるものだ。
「ごとうせんぱいー」
 美穂ちゃんが大粒の涙を流して私の肩で泣く。私は彼女の頭を抱いた。
「あたし、悔しいです。先輩と金賞獲りたかったです」
 悔しい。その言葉が私の頭を殴る。
 そうか、私は逃げていたんだ。こうやって悔しい思いをしないよう。みっともなく泣かないようどこかで逃げて本気にならなかった。金賞なんて獲れるはずがない。県大会に行けるはずなんてない。そう頭の片隅で思っていた。
 本気になって傷付くのが怖かっただけ。
 美穂ちゃんは本気だったんだ。本気で県大会を目指していたんだ。
 私は急に恥ずかしくなった。
「私も悔しいよ」
 そうやって泣けるほど本気になっていなかったことが。
 隣の市の吹奏楽部との違いはきっとこれだ。私は今までのぬるさを恥じた。
「美穂ちゃんたちなら大丈夫。来年絶対金賞獲れるから。その悔しさを忘れないでね」
 他のパートの後輩たちも涙を流していた。彼らは本気だったんだ。本気じゃなかったのは私。泣けるほど本気になれなかった私のことが悔しくてたまらなかった。
「私、高校でも吹奏楽続けるよ。絶対県大会、ううん、全国大会狙うから」
 悔し涙を流す覚悟を、私は決めた。



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最近サイト更新できていないな、とふらーっと短編を上げてみます。
毎年夏は自分との戦いです。
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